「新反動主義」雑多: ポピュリズム、ナショナリズム、保守主義などとの比較その他
ヤーヴィンの政治戦略、方法論や、政治思想の中での位置づけ、他の政治思想との比較など
ヤーヴィンの政治戦略、想定する支持層、ポピュリズムとの関係
(1) アカデミアや政策提言に関わるエリートに訴えようとするもの
ハイエク、ケイトー研究所 (リバタリアン系シンクタンク) 、ジョージ・メイソン大学のリバタリアン経済学者たち など。
(2) パレオリバタリアン (知的エリートを国家権力の一味とみなし、むしろ大衆に向けて訴えるべきだとするポピュリズム派)
後期ロスバード、ルウェリン・ロックウェル、リバタリアン党のミーゼス党員集会 (Mises Caucus)
下院議員で、大統領候補としても出馬したロン・ポール
アルゼンチンの無政府資本主義者大統領であるハビエル・ミレイ
――がある。
→たとえば、Chase Oliverというリバタリアン党の候補が掲げる政策は、反戦・税撤廃・中央銀行解体など、政治・経済的立場の面ではパレオリバタリアンが掲げる政策と一致していたが、文化的にはリベラル風 (同性愛者で、パンデミック中にマスクを着用している) であったため、パレオリバタリアンの支持は得られなかった。パレオリバタリアンは、最近ではトランプを支持する。
かつてリバタリアンの大統領候補ロン・ポールの名義で人種差別的な記事が書かれたことが話題になったが、その人種差別的な記事を書いたゴーストライターはパレオリバタリアンとして有名なルウェリン・ロックウェルだと言われている。
(パレオリバタリアニズムを支持する) リバタリアン党ミーゼス・コーカスと、反ユダヤ主義・人種差別の結びつきについては、以下の記事で論じられている:
エルフはインテリエリート、ホビットは庶民。ダークエルフはカウンターエリート
(2)のパレオリバタリアンは、(1)のワシントン内で政策提言する体制内改革派を、「ベルトウェイ・リバタリアン」や「オレンジライン・リバタリアン」として敵視してるらしい (オレンジラインというのはワシントンDCにある路線らしい)。Murray Rothbard as Low Human Capital - by Glennは、逆に、(1)に共感的な立場からの(2)の評のようだ (著者のGlenn本人は自分は既にリバタリアンではないと言ってるが、エリート系リバタリアンの活動拠点であるケイトー研究所で仕事をしていたことがある)。 ヤーヴィンは後年パレオリバタリアニズムを唱えたロスバードの影響をつよく受けているけれど、後期ロスバードのポピュリズム戦略とは戦略の面では違っていて、王!という、エリートでもない大衆でもない第3の戦略っぽい。エリートは腐敗しているとする点ではポピュリストと共通するものの、大衆にも期待していない感じ。
「現状のアメリカ政府は知的エリートに支配されている」という彼の現状認識からすると、「ヤーヴィンは(1)のエリート戦略の方が戦略として見込みがあると思うのではないか?」と推測されるかもしれないが、実際には彼は知的エリートは改革不可能だとみなしている。
ポピュリズムは、「制度」と呼ばれるものとの対立で語られる (ポピュリストに対するアンチは、フランシス・フクヤマのような制度派 institutionalist )。ここでいう制度は、Cathedral と似ている。
ヤーヴィンは、資格任用制の公務員などの、専門家を重用する制度に対する批判を行っている点で、ポピュリストと共通する。
ポピュリストがエリートを敵視し、庶民の感覚を信頼するのにたいし、ヤーヴィンは、知的エリートを敵視する点ではポピュリストと共通するが、庶民の感覚は信頼せず、むしろ、
知的エリート以外の種類のエリート (企業的・軍事的・政治的) を持ち上げる。もっとも、宗教的権威はお嫌いのようだけれど。
企業の世界では、重要な政策的選択はしばしば、軍事用語でいうところの「ミッション・オーダー(任務命令)」を与えられた個人によって下される。すなわち、結果についての責任は負うが、戦術や(さらに重要なことに)人事については自由裁量を与えられている人々である。このような経営上の自由裁量は、最も成功した植民地統治体制の大きな特徴でもあった。クライヴ〔東インド会社の軍人〕やヘースティングズ〔初代インド総督〕らが示した目覚ましい成果は、彼らが本国とほとんど連絡を取らず、現地で完全に独立して行動できたからこそ可能だったのである。(もっとも、最終的には電信の発明が英領インド統治〈ラージ〉を終わらせることになったのだが。)
デンマークの政治学者ベント・フリュブヤーは、アリストテレスの言葉を再翻訳する形で、責任ある個人が正確な直観的判断を下す能力を「フロネーシス(phronesis)」と呼んでいる。より口語的に訳すなら、「賢明さ」「知恵」と言ってよいだろう。(とりわけダンジョンズ&ドラゴンズ世代にとっては理解しやすいはずだ。私たちの多くはいまだに、知性と知恵の違いを完全には理解していないのだから。)
フロネーシスは、意思決定者が個人的に責任を負う、規模の異なる一連の決断を積み重ねることによってのみ身につく。言うまでもなく、数字を都合よくいじった疑似的な「調査」を操作する人物が決定権を握るような意思決定プロセスには、フロネーシスはまったく存在しない。
……
もしあなたが、「社会科学」よりもフロネーシスの方が優れた決定を生みうると考えるなら、あなたはプロイセン参謀本部の基本的な行政原理に賛同し、進歩主義時代および現代の進歩主義運動の基本原理には反対することになる。要するに、これはコンクエストの第一法則の一例だということだ。あなたがそこまで踏み込むかどうかは分からないが、もしまだ目を通していないのであれば、フリュブヤーの仕事にはきっと興味を持つだろう、という気がする。 社会科学に基づきプロセス主義的に動く官僚組織の意思決定と、命令系統に基づき、トップが大きな裁量と責任を持つ企業・軍の意思決定を対比し、後者を良しとしている。大きな決定をする経験を通して磨かれるような、フロネシスという実践的な「知恵」が、社会科学の理論に基づく意思決定に優るものとしている (ハイエクや反知性主義との共通点だが、フロネシスについて語っているのはこの引用くらい)。 また知的エリートについても、全部 一緒くたに敵視するわけではなく、
現代の知的エリートに対し、過去の知的エリート (19世紀の著述家や歴史家 Thomas Carlyle, Henry Maine, James Anthony Froude) を持ち上げる。
あるいは、非主流的意見 (オーストリア学派経済学、Human Biodiversity、コロナウイルスの研究所流出説、歴史修正主義、地球温暖化懐疑論) を持ち上げる
ヤーヴィンは、「知的エリートの一部をアカデミア・メディアの主流から離反させ、自分たちの運動に協力させなければ勝ち目はない」と考えているらしい。
アカデミアやメディアの主流から外れた意見を意図的にプッシュしていくという点では、(アメリカのポッドキャストで登録者数一位の) Joe Rogan や Tucker Carlson のようなポピュリスト的インフルエンサーとも共通するものの、Joe RoganやTucker Carlson がマスの視聴率を稼ぐことを重視しているであろうことに対し、ヤーヴィンはある程度 頭が良い層に向けて非主流的意見をプッシュすることを主眼においている、という点が異なるのだろう。つまり「読者は量より質」だと思っている。その意味では、Intellectual Dark Webの方に近いか。 ヤーヴィンが、露骨な陰謀論よりも、もうちょっと洗練された反アカデミアの物語を提示しているのも、オーディエンスの違いを念頭に理解できそう。
という感じ。
つまり、反エリートだけれども、エリート主義に対して反対しているというわけではないし、エリートの存在自体に対する原理的な反対 (民主主義や平等主義の観点から持たれることがあるような) は無く、現状のエリートのあり方を批判するだけだ。
そもそも彼は一定上の大きさの社会がエリートによって支配されるのは、不可避のことだと考えているのであり (ミヒェルズの寡頭政の鉄則)、エリート支配をなくそうとはしていない。
この記事で、ロスバードは、
メディアやアカデミアは国家権力とベッタリなため、エリートに訴えて漸進的に改革を狙う「ハイエク戦略」はうまく行かないはずと述べ、
それに代わるリバタリアニズムの戦略としては白人の労働階級・中間層に直接訴える右派ポピュリズムが必要だ、と主張し、
元クー・クラックス・クラン構成員の政治家 David Duke を支持した。
ヤーヴィンの言う、「インテリ (バラモン) + 下層階級 (ダリット) vs. 労働者階級・中間層(ヴァイシャ)」という対立構図は、ロスバードにも共有されている。もっとも、ロスバードの場合は、金権エリートと知的エリートが「大きな政府を支持するエリートたち」として まとめて1つに扱われている点は異なるけれど。
ヤーヴィンは、エリートをバラモン (知的エリート) とオプティメイト (オールドマネー) として分けており、対立構図の左側と右側に分割されている。
ロスバードがこの記事で右派ポピュリズム戦略として唱える、「犯罪者に対し警察が即座に処罰を行う」「浮浪者の一掃」のような政策も、ヤーヴィンが支持するものであるようだ。
この記事で、ロスバードは右派ポピュリスト戦略として、"アメリカ・ファースト" も唱えている。これはドナルド・トランプが使用する前から、パット・ブキャナンというパレオコンサバティブが用いていた言葉。
ブライアン・カプランやジェイソン・ブレナン (どちらも本自体はayu-mushi.iconは読んでないけどネットでのまとめを見る限り) のような反民主的リバタリアンはエリートに比べた一般人の無知を嘆いており、処方箋もエリート主義的 (知識テストで一定基準を満たした人に選挙権を限定するとか) なのに対し、カーティス・ヤーヴィンはむしろもともとポピュリズム色の強いパレオリバタリアンの方から来ている点に注意が必要。
民主主義に反対するリバタリアンという点では共通していても、カプラン、ブレナンと、ヤーヴィンはかなり違った態度を持っているように見えるのは、そこが背景にありそう。
カプラン: 主流派経済学者の考えを基準に、無知な一般人の政治的影響を嘆く。専門家の擁護者であると自称。知識がある有権者の考え方は経済学者の考え方に近くて良い。中央銀行は選挙で当選した政治家が影響力を持たず、経済学の専門家が牛耳ってるので素晴らしい。 ヤーヴィン: 高度な教育を受けたエリート (アカデミア、メディア、教育者) の考えが色々間違っていることこそが現代政治システムの問題だ。教育等が社会を左翼的な方向に推し進めていき、政治は劣化してきた。主流派経済学に批判的。中央銀行の存在はおかしい。
ヤーヴィンが用いる、君主制、寡頭制、民主制の3分法によれば、カプランやブレナンの民主主義批判は寡頭制 (エリート支配) 擁護であり、ヤーヴィンのものは君主制の擁護なのだ。
ではヤーヴィンはなぜ反エリート支配というだけではなく、反民主主義をことさらに強調するのか。
そもそもヤーヴィンは現代のアメリカで国民が政治をしているとは思っていないのだが、ではなぜ 彼が現在 存在しないと思っている体制である民主主義を彼はわざわざくどくどと問題視するのか?
それは、民主主義は世論に影響を及ぼす情報機関 (メディア、アカデミア、教育機関) の間接的な支配に役立つものと考えているかららしい。つまり現代の先進国における民主主義的な体裁も結局は知的エリートの支配に役立つと言いたいらしい。
リバタリアンの一部が paleoconservative と連合したのが単に支持者を集めるための戦略的連合に過ぎないのなら、選挙で票を増やす気のないヤーヴィンがそれを気にする必要はないってことになりそうだけど、そうはならないらしく、ヤーヴィンは paleoconservative / paleolibertarian に入れ込んでいる気がする。これは反移民や孤立主義のような論点を重視しているからか。
ヤーヴィンは、ブライアン・カプラン『選挙の経済学』を激しく批判するためにブログを始めたところがあるらしい。
じっさいにはその批判は実現されなかったけれど。
ヤーヴィンは、 ジョージ・メイソン学派 (エリート系リバタリアンの根城になっているジョージ・メイソン大学の経済学研究科の人々) のことは嫌いらしい。(私ayu-mushi.iconは好き)
TGGP は次のように述べました...
…(略)…オーストリア学派を批判したブライアン・カプランは特に洞察力に富んでいると思うので、彼の著書「合理的投票者の神話」〔邦訳: 『選挙の経済学』〕を読むのを心待ちにしています。
メンシウス・モールドバグは次のように述べました...
私は公共選択学派を非常に尊敬していますが、このブログを始めた理由の 1 つは、カプランのその特定の著作を、本当に、本当に重く、深く、意地悪に、徹底的で容赦なく批判する場所を持つためでした。
なぜなら、私は「ジョージ・メイソン学派」をまったく尊敬していないからです。実際、私は彼らが御用学者の集団だと思っています。そして、彼らの人気には非常にがっかりしています。しかし、その理由は複雑で、いくつかの非常に詳細な議論について私が正しいかどうかにかかっており、私は決してこれを権威的な断言 (ex cathedra) として受け入れるよう誰かに求めるつもりはありません。
とりあえずのところ、(Bryan Caplanのオーストリア学派批判に対する) ウォルター・ブロックなどによる反論を見てみるとよいでしょう。Block と Caplan で検索すれば、そのやり取りが見つかるはずです。たしか QJAE(Quarterly Journal of Austrian Economics)だったと思います。
(Google 翻訳)
公共選択論やってるのってジョージ・メイソン大学の人たちじゃないの
ジェームズ・ブキャナンもジョージ・メイソンだったし
オーストリア学派 (ヤーヴィンが支持する経済学の学派) のリバタリアンである Peter Leeson や Edward Stringham, Peter Boettkeもジョージ・メイソン大学にいるんだけど、オーストリア学派の景気循環理論の話をしないからダメらしい。(もっとも、していないというのはヤーヴィンの誤解で、実際にはしてるらしい)
想定読者
おそらく、Unqualified Reservations時代の想定読者は、リベラル左派とリバタリアン。
現在のGray Mirrorでは、より保守的なオーディエンス (MAGA派) を念頭においているのではないか。
初期の、フォーマリズムは暴力を抑止するものとする定式化や、ナショナリズムに対する反対、「反アメリカ」的レトリック (アメリカ独立戦争に対する反対など)、反キリスト教 (無神論) 的メッセージは、リベラルなオーディエンスを念頭において、説得するためのものなのでは?
ヤーヴィンは、ネオカメラリズム国家のCEOを、たいてい "she / her" という代名詞で呼んでいた。
Mencius:
〔 …A anti-liberal attack is any political ideology designed to defeat liberalism…〕
……反リベラルな攻撃とは、リベラリズムを打ち破るために設計されたあらゆる政治思想のことである。
伝統主義は、有効な反リベラル攻撃にとって望ましくない要素だ。なぜなら、有効な反リベラル攻撃とは、リベラルを新しい思想へ転向させるよう設計されるべきだからである。リベラルは伝統主義者を憎み、恐れるよう訓練されているのだから、伝統主義を掲げるのは機関銃の前に突撃するようなものだ。
リベラルに対して有効な攻撃は、少なくとも一見したところでは「超リベラル」に見える思想的立場から行うことができる。たとえば、私のブログ Unqualified Reservations にある、Richard Dawkins に対するウルトラ無神論的な批判を見ればよい。リベラリズムはキリスト教の歪んだ変種なのだから、ヴォルテール的な反教権主義に対しては、かなり脆弱であるはずだ。
リベラルを説得するために、一般的にリベラル側に属する無神論を利用している、という戦略を取っているらしい。
ヤーヴィンと米共和党の比較: ポリティカルキャンパス的に
レーガンに代表されるアメリカ共和党の主流派:
社会文化軸ではキリスト教的な伝統主義
外交ではタカ派・介入主義
経済的には小さな政府
刑罰は厳罰派
ヤーヴィン:
社会文化軸では分類し難い。無神論者であり、同性婚や中絶の権利は認める (生後中絶(子殺し)も認める) が、人種の平等を求める運動に否定的。フェミニズムについては不思議なことに (?) ほとんど言及なし (実はフェミニズムには大して文句ない?)。 科学的に主流すぎると、アカデミア批判にはならないので、ヤーヴィンの話にノラないのかもしれん
性別の話しないと、人種に執着してるんですね〜って感じがして逆に怖いとこある。
「今、私はなぜMM〔=ヤーヴィン〕が性別の問題にまったく触れたことがないのか疑問に思っている(人種については全く遠慮がないのに)。同じような考えを持つ人々、たとえばSteve Sailer, Ilkka Kokkarinen, Murray Rothbard, Lawrence Auster, Half Sigma,Vox Dayなどは、それを楽しむかのように扱っているのに。」
移民
ヤーヴィンは、(現在の形での) 移民受け入れに否定的。
イスラムに関する私の一般的な見解は、例えばLarry Auster〔Larry Austerは移民反対で知られる右翼ブロガー。〕のものとほぼ同じです。アメリカはイスラム諸国を支配しようとすべきではないと思いますし、少なくとも現在の政治体制のもとでは、イスラム圏からの移民を受け入れることは良い考えではないと思います。
この"The Mencius Vision"という文章では、アラブ人とアフリカ人の移民を指して、「ヨーロッパを植民地化している」と非難している。
ネオカメラリズム/パッチワークは利潤を増やすためにかなり移民を受け入れそうだけどね
ヤーヴィンは移民受け入れには反対しているものの、ドバイを理想の統治形態としている。ドバイは、居住者の9割近くが外国人労働者だ。もっとも、ドバイのゲストワーカーシステムは、欧米の移民システムとは異なる。
ドバイはまったく〔国民が〕同質的ではありません。それでも、おおむねうまく機能しているように見えます。同質性は、うまく機能する社会を築くうえで確かに有利であり、民主主義のようなものには不可欠だというあなたの意見にも、おそらく同意します。しかし、それは私が民主主義を好まない理由の一つでもあります。
Posted by: Mencius on April 23, 2007 7:33 PM
なお、人種問題については右翼的なのに、中絶の権利や同性婚を支持するというのは、アメリカ人の類型としては珍しくないようだ。
Weeden and Kurzban (2016) は近年、「社会的(social)」というカテゴリーは曖昧すぎると主張している。最大の問題は、人種に関するさまざまな問題――アファーマティブ・アクション、アフリカ系アメリカ人向けの政府支出や支援プログラム、移民政策、人種差別など――をどこに位置づけるかという点にある。著者らは、これらの問題に関する意見が経済的な問題に対する意見とは強く相関する一方で、一般に「社会的」と見なされる、中絶、マリファナの合法化、同性愛といった問題に関する意見とはあまり相関しないことを見出している。そこで彼らは、イデオロギーの二つの次元は「人種/経済」と「宗教」として捉えるのが最も有益であると提案している。
人種問題についての意見は、中絶や同性婚についての意見より、経済政策について右派よりか左派よりか、のほうと強く相関するらしい。アファーマティブアクションや移民に反対する人の中には、小さな政府を支持する人がよくいるということだ。
ヤーヴィンは、福祉を白人から取ってマイノリティに配るものとみなして反対し、刑罰についても、マイノリティに対し甘い勢力が刑罰を弱めた結果、犯罪が増加したと認識している?(つまり、レイシズムが、彼の色々な政治的立場を統一して説明する背景にあるのだろうか?)
(福祉国家についての記事へのヤーヴィンのコメント。記事本文に人種についての言及はない。)
例えば、歴史的な観点から次のように問うことができる――「なぜテッド・ケネディはアフリカ系アメリカ人に資金を提供する連邦プログラムを支持する傾向があったのか?」
一つの答えは、テッド・ケネディがアフリカ系アメリカ人を愛し、できる限り彼らを助けたいと考えていたからだ、というものである。
もう一つの答えは、テッド・ケネディはアフリカ系アメリカ人の選挙における忠誠を買うことを得意とする巨大な票集めのマシンによって当選していたからだ、というものである。
被治者は単純な区分によって二つの集団に分けられる。すなわち、体制に対し経済的に依存している「クライアント」と、〔逆に〕体制が経済的に依存している「庶民」である。クライアントは当然ながら体制を称賛し、庶民は当然ながらそれに反感を抱く。
……
このスローガン (訳注:「ブラック・ライブズ・マター」) は、善悪や真偽、正気か狂気かを問わず、ある権力を支持するよう求める。それは、その体制が自分にとってどれほど有益に機能しているかを考えるよう求めるものではない。むしろ、それについて考えないように求めている――ただし、あなたが「黒人」である場合は別だが。
理想的な定式は、それぞれの文化に対して異なるメッセージを持つ。体制に対しては、最良の定式は自己肯定的であり、支配層に自分たちが正しいことをしていると確信させる。クライアントに対しては、最良の定式は自己利益的であり、体制が自分たちのために機能していると納得させる。庶民に対しては、最良の定式は自己卑下的であり、彼らに謙虚でい続け、税金を払い続けるよう促す。
「ブラック・ライブズ・マター」がこの三つの問題を同時に解決している様子は容易に見て取れる――ある種の不気味な傑作である。しかし、前例のない傑作というわけではない。
黒人の人々を、「体制 (regime) に対し経済的に依存した存在」として書いている
外交ではハト派・孤立主義で しばしば反米的、
経済的にはより急進的な小さな政府 (オーストリア学派)、
金融政策については、金本位制支持
刑罰は厳罰派
ヤーヴィンは、共和党パレオリバタリアンのロン・ポールに近い。
西欧の極右支持者は、属性でいうと低学歴・若年層・無宗教の者が多く、職業でいうと、失業者、自営、ブルーカラー、退職者が多い[Betz 1994; Norris 2005]8) 。また、女性より男性の方が極右を支持する[Gidengil et 理論と動態 ??al. 2005:1171; Givens 2005]。ただし、属性による説明力は必ずしも高くなく、政治的態度や 価値意識のほうが極右支持の要因として重要とされる9)
…
伝統的ファシズムと異なり、近年の極右支持層は経済的自由主義に肯定的であるといわれる[Kitschelt 1995; Betz 1998:5]。
強調は引用者
トランプ以降のヤーヴィンと共和党主流派の接近?
トランプ派は外交で孤立主義的なことを言ってる (といっても2016年~2020年ではネオコンの人を任用していたらしいし、2025年にもタカ派のマルコ・ルビオを任用してるけど) ので、共和党主流派との距離がトランプ以降縮まっている?
メディアやアカデミアを敵視する点でも、トランプ派に近い。また、ヤーヴィンは民意で選ばれた政治家がその権限を握ることを求めているわけではないが、大統領による公務員の解雇権などの強い権限を求め、行政組織の独立性を攻撃している点ではトランプ派と似ている。
政治家がその権限を握ることは求めてないと言っても、過渡期で民主主義を利用するのは構わないと言ってる:
体制転換(レジーム・チェンジ)を推進できる唯一の政治形態は民主制である。
しかし、その次の体制を実際に運営できる唯一の政治形態は君主制である。
ゆえに、合法的な体制転換の過程は、君主(制)を「選挙で選ぶ」という形を取らねばならない――それは1932年のFranklin D. Rooseveltの当選に似ている。
重商主義者はやばすぎ!
初期のヤーヴィンは、王政はナショナリズムとは対立するような感じで言ってたけど、あくまで民族自治という意味でのナショナリズムに反するというだけか。国民のための統治、国民の利益優先という意味でのナショナリズムは、少なくことも現在は受け入れてるらしい。トランプ派に媚びてるだけ?
当初のヤーヴィンはそもそも国民国家とかは否定してるわけで、ナショナリズムとは対立するんだけど
〔Patchwork will defend itself from…〕 「パッチワーク」は世界の他の国々から身を守ることはあっても、自ら攻撃することは決してない。貿易は許される限りで行うが、そうでなければ行わない。要するに、できるだけ目立たず、いかなる形でも主権を手放すことを避けようとする。貿易収支の均衡を保ち、自国で発行できない通貨での借り入れは避け、可能な限り資源・食料・エネルギーの自立を維持しようとする、などである。その強みは活力と経済効率にあり、それを維持し続けるだろう。
もっとも、パッチワーク国家群が貿易赤字を回避すべきだというこの主張は、安全保障上の理由に過ぎず、保護主義者のいうような雇用保護のための政策ではないだろうけれど。
インタビューによると、ヤーヴィンは、J.D.ヴァンスが好きらしい。トランプのことも評価してる。
〔What do you think Americans…〕アメリカ人は「ザ・ドナルド」やChris Christie知事のどこに反応しているのでしょうか。それは、これらの人物が持つ明白な「王らしさ」です。至高の個人的権威――一般に男性の――は人間にとって自然な機能であり、私たちはそれを本能的に認識します。王という役職は、少なくとも公的な領域には存在しませんが、トランプやクリスティのような人物はそれにできるだけ近い存在であり、その役割に生物学的に適していることが明らかだ、というわけです。
過去の記事 (2011年) でも、「トランプは生物学的に王に向いている」と発言(ww??)。
もともとのヤーヴィンとトランプ派には、( 選挙で選ばれたリーダーに権限を与えるのかという点など ) 意見の違いがあるにも関わらず、最近のヤーヴィンがトランプ派に媚びて、むかし自分が言ってたことと反対のことを言い始めたことを指摘する記事。
この記事に対する自分の感想:この記事はヤーヴィンがもともと持っていた反エリート主義的な側面を逆に軽視していると思う。トランプとヤーヴィンに共通する側面は、たしかに昔からあったはずだ。
アメリカ保守運動の中での位置づけ
アメリカの保守主義運動は、戦後、ナショナル・レビュー紙のウィリアム・バックリーJr. を中心に、右翼運動の中からジョン・バーチ協会のような陰謀論者や、人種差別主義者を排除して「まっとうな」人々に受け入れられるように戦略的に組織されたらしい。たぶん孤立主義者とかも排除された。
ヤーヴィンの新反動主義を、保守運動の中で位置づけるとするなら――そもそもそんなことができるのか分からないが――、もしかすると、主流派保守から排除されてきた右翼の流れから理解できるのだろうか。ヤーヴィンは、しばしば dissident right (非主流派右翼) とされるわけだし。
ナショナリズムとの関係
ブログで否定的と言っていたナショナリズムとは民族自決のことだ。
いっぽう、コメント欄で言っているナショナリズムは、政府は (その政府にとっての) 他国民より自国民の厚生を優先すべきという立場だ。
(民主主義にコミットせずに擁護できているか怪しい気がするが)
つまり自国民「による」政府という意味のナショナリズムではなく、自国民の「ための」政府という意味ではヤーヴィンはナショナリズムだ
また、根拠としては自国民の厚生を目的にした方がアカウンタビリティを保ちやすいというものらしい
それは民主主義では?
――とはいえ、ヤーヴィンのナショナリズムに対する立場が、Unqualified Reservations時代と、活動復帰以降 (トランプ派に迎合的な傾向が見られる) で異なるのはたしからしい。
もし移民反対の理由が、他民族を入れるべきではないというものではなく、自国民の厚生が優先されるべきであり、移民は国民の厚生を損なうからという理由なら(おそらくヤーヴィン(2021)はこの理由で移民に反対している?)、民族主義的ではない自国民優先主義ということになる
というのも、そのとき現在の自国民同士の間には国籍を現在持っているという以上の繋がりが全くなくてもいいのだから
また、エドワード・べラミーのナショナリズムはどちらの意味でのナショナリズムとも大きく異なり、「経済を民主的にコントロールする」という社会主義に近いものらしいのだが、ヤーヴィンは (あたかも曖昧な言葉を操る言葉遊びを楽しむかのように) 区別せずに言っているのでさらなる混乱が予想される
保守思想 / 英米の政治伝統 / 古典的自由主義との関係
ヤーヴィンは、フランス革命やアメリカ独立戦争だけでなく、名誉革命にも否定的だけど、じゃあマグナ・カルタとかエドワード・コークはどうなの
同様に、マグナ・カルタも、1500年や1400年の時点では誰も大して気にしていなかった。それが後になって、初期のホイッグ派たちによって、人間の自由の勝利かのようなものへと後付けで再解釈されたのである。
マグナ・カルタについても、ホイッグ主義者による「作られた伝統」に過ぎない、と。
立憲主義や権力の分立みたいなのも退けてるし、法が人の上にあることも不可能だみたいに言ってるから、アングロサクソンの伝統を完全に拒否する反動主義者になってる?
「結果的に自己所有権の侵害が減ったからいいのだ」みたいな感じ。
リバタリアニズムから、適正手続きや権力の分立のような、古典的自由主義の原則を抜いたような発想。自己所有権テーゼ一本のリバタリアンなら、そういう立場にもなりうるのか。
ハンス・ハーマン・ホップも、私有コミュニティは気に食わない言動をした者を排除する自由があるとして、言論の自由までも否定している。
通常、リバタリアニズムは古典的自由主義を徹底したもの、というように考えられるけれど、むしろ自己所有権テーゼを徹底した結果として 古典的自由主義の原則 (言論の自由、デュープロセス) を否定する結果になるのは興味深い!
法の支配については、ヤーヴィンも支持しているが、通常の意味での法の支配と同じものかは疑わしい。
参照: Penal Populism
〔ここでの論争の相手である〕ニック〔・スザボ〕もまた、ナチスの SS 将校というわけではないような哲学者たち全員と同様、制限された政府 (limited government) の支持者である。これは、彼が英米法の伝統の学者であるという事実と関係があるかもしれない。英米法の伝統は (ホッブズという 1 人の人物を除いて) 常に少数に対する多数の権利を強調してきた。これは――比喩的な意味でも文字通りの意味でも――高貴 (noble) な伝統であり、我々は理性のライフルをそちらの方向へと向けるとき、〔エドマンド・〕バーク的な身の震えを感じずにはいられない。
とはいえ、私は大きなる拒絶を誓い、後悔するつもりはない。したがって、次の質問をする価値がある: 制限された政府 limited government は実際に機能するのか? 望ましい目的を目指しているのか? もしそうなら、その目的を達成することを期待できるのか? いつものように、私は 行為学 (praxiology) 的に作業し、結論に達した後でのみ、いわゆる "エビデンス" を検討する。 幸運にも、答えるのは簡単だ。答えは、"no"、"yes"、"no"だ。
かっこいい文章
アングロサクソンの判例法重視 (ハイエクが自生的秩序として重視する) も嫌いなのかな。
慣習法が(エドワード・)コーク (cokeは英語でコカ・コーラ) だから、それに対立するナポレオンの成文法はペプシか。で、“Pepsi is the choice of a new generation.”というのはペプシの広告スローガンらしい。コメント欄を見る限り、これはヤーヴィンがイギリス的な慣習法に対し、大陸的な成文法を支持していることを意味しているらしい (読み解くのが難しい文章だ)。 保守的自由主義者のみんなが好きなハイエクとかエドマンド・バークみたいなの (わたしはよく知らないけど) とは真逆の方向なんじゃないですかねー
理性による第一原理からの推論で、既存の社会制度をラディカルに変革しようとしてる。ハイエクが批判する設計主義に近い。
彼の作ったソフトウェアの Urbit では、システム内で利用されている言葉の中で、人工言語ロジバン由来のものがあったりする。ロジバンは、トライアンドエラーの結果としてできた自然言語という自生的秩序ではなく、一階述語論理を元に頭で考えて設計された人工言語。それにたがわず、Urbit自体が、既存のOSとか通信の仕組みをひっくり返して全部ゼロベースでデザインし直そうみたいなソフトウェア。普通のプログラミング言語では、数値の1を真偽値のtrueとみなすという慣習があるのに、0をtrueとみなすというひっくり返しさえ行っている。完全にエドマンド・バークではなくフランス革命勢力の発想。フランス革命歴みたいな。 ヤーヴィンはオーストリア学派といっても、ミーゼスやロスバードが好きなのであって、ハイエクの影響は無いっぽい。
今までの政治伝統や慣習を重視する保守的なハイエクと違って、ロスバードは、理論的に打ち立てた一本の単純な原理 (自己所有権テーゼ) から論理的に導出される帰結を、仮にそれが慣習や伝統に反するものであっても正しいと考え、それを徹底して無政府資本主義を唱えたラディカルな理論家。
第一原理から考え、既存の制度とは大きく異なる制度を構想するという点は、ヤーヴィンと共通する。
アメリカのカースト論
ヤーヴィンは、アカデミックエリート (バラモン) と下層階級 (ダリット) の協力である民主党が大きな政府の政府プログラムを行っていると言っているけど、ミルトン・フリードマンは逆? のことを言ってた。
フリードマンによれば、政府プログラムは中間層を受益対象としたものが多く (高等教育への公的助成、年金制度) 、割りを食うのはすごくお金持ちとすごく貧しい人々
上層と中間と下層という言葉を使うと、
ヤーヴィン: 政府支出に影響を持つのは上層+下層の勢力
フリードマン: 政府支出に影響を持つのは中間層
となって対立しているように見えるだけで、上層、下層で実際は指しているものが違うからうーん
ヤーヴィンが言っているバラモンは、大学教員、ジャーナリスト、NPO団体職員のように、自分の所得は少なくても社会への影響力を持ちたい人がなるようなものなので、高所得というわけではない
高等教育への公的助成に関しては、ヤーヴィン説 (学者への助成) でもフリードマン説 (大学に通う中産階級の子供への助成) でも説明可能
政府支出において大きな比率を占める公的年金に関しては、お金を移転するだけでは大して公務員に職や利益を作らなそうなので、ヤーヴィン説で説明するのは難しい。日本年金機構が人口動態を調べたり、データベースの管理とかはあるだろうけども。一般に、政府支出のパーセンテージで見ると、公務員の給料より、年金や医療、フードスタンプ/生活保護といった所得の移転が多いため、ヤーヴィン説とはやや食い違うかもしれない。(他の支出も累進課税のもとでは低所得者に有利だが) フードスタンプは (特に) 低所得者向けなので、ヤーヴィン理論に当てはまるか。医者をインテリの一味と見るなら、医療支出もヤーヴィン説に当てはめられなくもないが。
下層階級って投票率低そうだし、票にならなそうな
ヤーヴィンがダリットって言ってるのは、下層階級って言葉で濁してるけど本当は人種的マイノリティ一般って可能性もある
https://www.youtube.com/watch?v=5Wx5PYZIWcQ
ちなみに、フリードマンが言っていることは、すくなくとも現在の状況にはあまり当てはまらないらしい:
1973年の状況についてはあまり詳しくありませんが、現在ではこれらの多くはあまり説得力があるようには見えません。社会保障制度(ソーシャル・セキュリティ)も、もはや逆進的には見えません。ウィキペディアによれば、「所得分布の下位20%の人々にとって、社会保障の給付と負担の比率は、上位20%の人々のほぼ3倍である」とされています。また、私の理解では、年収がおよそ2万ドル未満の人々は連邦所得税をまったく支払っておらず、そのため大学などの費用負担は彼らにはかかっていないことになります。さらに、Cato Instituteの研究によれば、福祉を受けている低所得者は最大で約2万ドル相当の給付パッケージを受け取る可能性があるとされています。農業補助金などによって彼らが被る費用が、それらを相殺するほど大きいとは考えにくいように思われます。
これはミルトン・フリードマンの息子のデイヴィッド・フリードマンに対する書評だけど、父子で同じようなことを言ってる
Director's law は政策が民主的にできることを仮定している。一方、ヤーヴィンはもっと官僚とかジャーナリストとかのエリートの役割が大きいと考える。
https://gyazo.com/d457a50f94f38787f4029efd1b35f1cd
表の6を図にしたもの:
https://gyazo.com/520eb63772f26297719178fa22631c2a
2011年において、アメリカの福祉国家の効果は、一番上の所得階層が割を食って、中の下あたりが一番得をする、ということになっている。
(パーセンテージで見るか絶対金額で見るかによって違うけど。所得階層の、政府への影響力の大きさを反映するのはどちらなのかね。)
あと失業者とかは考慮されてない
2004年のデータだと、
https://gyazo.com/03a29d8a363d8bca5cf1270c9320110e
中間層が政府からもらうのが多いパターンではない (計算方法の違いによるのか、年が違うことによるのかは分からない)
2017年:
https://gyazo.com/a7609a6dafb109d9cf5ba6f2b9018bb6
トップ1%がイレギュラーな以外は低所得者ほど(純)利益を受けてる。
2014年からはミーンズテスト付きの移転のグラフ・表しかなく、メディケアや年金が省かれている。すべての移転がミーンズテスト付きになったってわけではないだろうに、なぜ?
これらの社会保険給付は政府による移転支出の一形態と見なされることが多いものの、Congressional Budget Office(CBO)が世帯を順位付けする際に用いる所得の基本的な測定には含まれています。ただし、本報告書ではそれらの給付プログラムの分配効果は直接的には検討されていません。特にSocial SecurityやMedicareは退職者に多大な資源を提供し、世帯所得の分布に大きな影響を与えています。CBOの推計では、これらのプログラムの分配効果を分析する際には、生涯にわたる所得、支払った給与税、受け取った給付といった指標を用いる方が適切であるとされています。本報告書で用いられている世帯所得分布の分析枠組みは年間所得データに基づいているため、これらの退職給付プログラムの分配効果を分析するにはあまり適していません。
メディケア・年金は、年毎の分析には適さないかららしい。
方法論
このUnqualified Reservationsというブログはとても造語が多い。どうやら、手垢がついた言葉と結びついた感情的コノケーションを嫌ったようである。
わざわざアメリカ合衆国政府をWashcorpと言ったり、アメリカ大陸のアメリカ合衆国が支配する部分をPlainlandと言ったり、政府のことをSovecorp, Soveorgと言ったりもする。(←Amecorpはどうか)
人間を意味するときでさえ、コノケーションがあるからといって、bipedal hominid (二足歩行ヒト科動物) と言ったりする
でもインテリと学者は違うから言い換えるわけにはいかない
ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』 によると、母国語より外国語で考えたほうが直感 (システム1) ではなく理性 (システム2: ワーキングメモリなど) が働いてひっかけクイズとかに正答しやすいらしいから、語についての直感的な把握が誤りを招いている場合は造語を使っていくのはじつは合理的なのかもしれない。 〔As Orwell noted, the hardest…〕George Orwellが指摘したように、明晰に考えるうえで最も難しいのは、広く共有されている誤った前提に気づくことです。
この記事で書いてある2つめの、過去の、見慣れない物から現在を考えることで批判的に考えられるってアプローチ、これもシステム2を活性化させて考えるってことではある
〔An alternative approach, which yields …〕もう一つのアプローチとして、現在の知的市場で一般的に入手可能なものの中では、おそらく2007年時点で最も異質な視点を生み出す(やや専門的な産物ではあるが)ものに、「Paleoconservatism」があります。ペイレオコン(古保守主義者)たちは、現在を過去の基準で評価しますが、その基準はたいてい忘れ去られており、古い書物の中から掘り起こさなければなりません――なかなか楽しい趣味です。サイドバーのリンクをたどっていけば、そのかなりの数が何らかのタイプのペイレオコンへとつながっています。
「見慣れないものに触れた場合にシステム2の活性化する」という根拠の与え方はできるものの、個人的にはあまり納得できない。じっさいに異質な文化に直面したことで、普段より批判的に判断を下せる人が本当に増えるのだろうか? たとえば日本人が外国文化を導入しようとしたときのことを考えてみたら。あるいは、西洋人が東洋の文明について言ったことは。むやみに(わからずに)否定したり、(しばしば「わからないから」という理由で)逆にむやみにありがたがったり、といったことばかりではないか?
たとえば彼はpost-austistic economicsによる、日本経済がネオリベラリズムの前提を破ったという記事をなぜか褒めているが、これは異文化に対する無批判な態度を表しているのではないか(憶測)
でもアーカイブを検索しても発見できなかった
あるいはアジア型発展モデルの奇妙な例を考えよう。ほんの6-7年前には、日本、タイ、シンガポールなどアジア地域の強国が、もっと良い方法を見つけたのだと主張する影響力の高い一派があった。アメリカのおめでたい自由市場イデオロギーに阻害されることなく、政府主導の資本主義を構築し、それが技術と経済成長で優位性を与えているのだ、という。当時ですら、ぼくたちの一部はこのモデルの有効性というのがおとぎ話だと思っていた。アジア諸国は、官僚的な介入のおかげで成長したのではなく、介入にもかかわらず成功したというほうが正しいというのがぼくたちの考えだった。そしていまや「深い戦略的計画」なるものの大半が、ただの縁故資本主義だったことが曝露された現在、自由市場に勝ると書する仕組みについて今後出てくる主張はすべて、かなり眉ツバと見なされるだろう。
「見慣れないものから現在を考えることで批判的に考えられる」というのは、人文学っぽい(知らないが)
神権政治の定義を一般的でないものに変えた上で、現代先進国は神権政治だ、と言ったりするのは、説得的定義では?
再定義による説得的定義を頻繁に使っている感じがする
"wiggin"
造語が多いことは、マーティン・ガードナーの言うパラノイア的トンデモの特徴の1つである。
統合失調症の特徴でもある
1. 疑似科学者は、自分自身を天才だと考えている。
2. 他の研究者を愚か者、不正直、あるいはその両方だと見なす。
3. 自分の考えに対する迫害が存在すると信じており、それをGalileo GalileiやLouis Pasteurの迫害になぞらえることもある。その「迫害」は、適切な入会儀礼なしには誰も内側に入れようとしない科学界の「フリーメイソン的」な陰謀によるものだと考える場合もある。
4. 主流を避けて別の道を進むのではなく、正面から攻撃する傾向がある。最も尊敬されている科学者はAlbert Einsteinであるため、ガードナーは、最も攻撃されやすい既存体制の人物はアインシュタインだと述べている。
5. 複雑な専門用語を多用する傾向があり、しばしば独自の言葉や表現を作り出す。ガードナーはこれを、精神科医が「新語(ネオロジズム)」と呼ぶ、統合失調症の患者の話し方――「本人には意味があるが、他の人にはナンセンスにしか聞こえない言葉」――になぞらえている。
体系的な政治哲学理論ってロマンですよね
反面として、定量的な話は少ない
冗長な長文だけど個人的には長い文章って現実逃避にも便利だから読んでしまう
独学で専門領域を持たず色々な分野に口出して独自の理論を建てるっていうのもトンデモの類型だけど謎の頭の良さにより異常者ができたという印象 まあ"crackpot genius"なんじゃないでしょうか
"crackpod genius" といったTGGP氏「Mencius Moldbugは真理への貢献というよりパフォーマンス・アートに近い」> TGGP said... なぜかヤーヴィンは自分の方法論を「演繹」と言っているのだが、じっさいに彼がやっているのは最良の説明への推論とか仮説演繹法だろう。
カントが重力の逆二乗則はアプリオリとか言ってたのと似た意味不明なやつです
Yarvin: History is not an experiment, because we cannot control it.
TGGP: The absence of a double-blind experiment is unfortuanate, but it doens't mean you've got nothing. You like to generalize from historical examples all the time.
社会科学は対照実験が無いのに因果関係を導こうとしているということを批判しつつ、ヤーヴィン自身は歴史的事例から一般化しているのではないかという批判
ヤーヴィンはある現象が発生していると思う→そこから原因を推測し、その原因を述べることによって(現象があるとしたらそういう原因だろうというだけではなく)現象の存在自体を読者に説得させる
――というような説得方法を用いがちだと思うが、普通、原因の説明と信じる理由は別である
もし措定される原因の推論が、ある現象が存在することに依存しているなら、循環論法になってしまう
だから、現象の側が未知で原因をもとに現象を推定したいという場合、原因は既知のものでなければならない
しかし、本当に既知のものだけを使っているかが微妙である
例: 現代に犯罪が増加していることを説明する仕組み (メカニズム) を出すが、そもそも犯罪が増加しているのか不明
(一応統計も引いていたけど)
"今も昔も我々は統計データよりも「こうこうこういうプロセスでこうなります」という物語に重きを置きすぎる傾向があるので注意しよう(気功とかホメオパシーとか、統計的裏付けはなくても、効く理由を提示されると納得してしまう人が多い)。"
最良の説明への推論をしているが、説明したいデータが何なのかを詳しく書いてくれない、あるいはデータ自体が本当に観測されているかどうかに疑問がある感じ
アカデミア、メディアなどについて、あまり客観的なデータを出していない。個人的な印象をデータとして、そこからそれを説明する仕組み (メカニズム) を考えるという推論になってしまっているのでは。
ヤーヴィンは軍に共和党支持、その他の行政機関に民主党支持が多いと推測しているが、本人も認めるようにデータは出していない
https://scrapbox.io/files/64735969462c99001bdb3aa0.webp (via Glenn Greenwald)
初期の文章は直截的だけどあとの方になるにつれだんだんカッコつけた文章になってる気がする
ヤーヴィンの態度には、彼が評価するジェームズ・バーナム『マキャベリアン: 自由の擁護者たち』に見られるような、権力についての科学的なアプローチを目指す面と、社会についての科学的アプローチである社会科学に対する批判的な態度 (それに対して歴史・資料読解・古典のような人文学をむしろ肯定する) という、相反する要素が同居している
社会科学に対する否定的な態度には、最初はオーストリア経済学のロスバードとかの影響が強かった
『マキャベリアン』が推進する科学的アプローチも、必ずしも一般的な意味での科学的アプローチではない
ヤーヴィンはその時代の評価を建築物の美しさで決めるようなことをいっているが、これは迷信的思考ではないのか。貴族を喜ばせる建築物が美しくて、実用性を重視した建築物が美しくないというだけではないのか。
現在の建物が美しくないというのは、割とよくある意見らしい。
ヤーヴィンの理屈付けは、個人の裁量による設計が否定され、プロセス主義になったため、現代の建築物は美しくない、というものだが。
</方法論の話終わり>
「帰結主義は、王、神、スーパーヒーロー、盗賊、反逆者、サイコパスの倫理だ。義務論は、法に従う市民の倫理だ。」というのは、――彼自身が王政を支持していることを考慮に入れると――総督府功利主義っぽいけど、彼は帰結主義は敵視しているらしい。
The cause of “cancel culture” is that everyone feels they can do anything, if they are doing it for a good reason. Philosophers refer to this as “consequential” rather than “deontological” ethics. Deontology means doing your duty; consequentialism means deciding for yourself what is right or wrong.
Deontological ethics is the perspective of a law-abiding citizen. Consequential ethics is the perspective of a god, a king, or at least a superhero. It is also the perspective of a looter, a traitor, or a sociopath. It is the perspective of power above law. It converges on Aleister Crowley’s formula: do what thou wilt shall be the whole of the the law. And of course it was the great ethical revelation of the 1900s, and even now reigns supreme.
Consequential ethics literally authorizes you, the sovereign individual, to act not according to your legal duty, but your own sense of the ethical consequences of tour actions. Every man is a judge above the law. Anyone with a two-digit IQ can see how this can justify killing your enemies. If not killed—they would do more enemy stuff.
Consequential ethics make you into a Nietzschean blond beast who knows no law but your own. Like James Bond, you can make the world a better place in whatever way befits your own best judgment. Bang! That was your best judgment. Consequential ethics are the ethics of Lucifer. This is why they are so sexy.
To you, both these ethical models may seem good. To me they seem criminal. This is an aesthetic choice: de gustibus non disputandum.
ヤーヴィンは憲法に基づく政府権力の制約を良しとする自然権・最小国家リバタリアンなどをリバタリアンの典型とするとすごく異端派に見えるが、New Public Managementなどの小さな政府派とはそんなに離れていないかもしれない
特に日本に政府権力の制限や自然権を掲げるリバタリアンは目立っていないのであんまり異端派に見えないかも
ヤーヴィンは権力の制約・チェックアンドバランスのようなアングロサクソン的考えを強調するリバタリアンと対立している
ブッシュ政権の当時(2007年)にブログを始めたヤーヴィンはもともと共和党保守派の軍事的遠征を危険視していたので、そこが共和党保守派との対立点だったが、トランプ以降は違いがあまりない?
2013年あたりから保護貿易や自国第一主義的なことを強調しだし、ヤーヴィン側の変化によってもトランプに寄ってきたというのもあるかもしれない
2016年選挙以前にもトランプに肯定的に言及してた気がする
ヤーヴィンは第一原理から考えるみたいなことをいうけれど、じっさいには既存の右派の思考 (paleoconservativeなど) の累積に影響を受けてやっている方なのではないか? (最初の方は割と第一原理から考えていた)
ではなぜ保守派と距離を起きたかったのか。考えとしては一致していても馬鹿だと思っているのか
保守のオーディエンスを念頭においてなくて、インテリのオーディエンスに語りかけたかったから、インテリが嫌う保守派との結びつけを避けた?
単に自分の仲間に権力がないのが嫌という人 (tribalist) は
1. 自分の仲間が支配する→良い
2. 民主主義→普通
3. 敵が支配する→悪い
となる。
ヤーヴィンはそうではなく、バラモンが支配しても、嘘をつかず、責任ある効果的な政府であるならいい (ある集団による支配ということに悪さがあるわけではない) というふうに言っているが、そうでないように見えるときもある。
Gray Mirrorではある集団がある集団を支配する事自体に現状の悪さがあるみたいなことを言っていた気がする (iron law of oligarchyを受け入れているなら、現状以外でもそうなるのでは)
私はまだあんま読んでないけど、URのコメント欄は批判的な物も含め盛り上がっており有益そうなものも多いので読むときはウェブアーカイブなどを利用してコメント欄も含めて読むといいかもしれない
歴史上の敗者 判官びいき
一時期から共和党/民主党は高所得/低所得の対立から、低学歴/高学歴の対立になってきたのは事実
彼の住んでいるサンフランシスコが民主党の支持層なので彼には左翼が世界を支配しているように見えるのかもしれない?
たしかに何でもアメリカのせいにしてる気がする
ヤーヴィンは相手を敵と認識すると相手の立場を空想で認識して誤解してしまっているのではないかという指摘(by TGGP)
In the modern world, however, bad policies are the result of human action, not human design.
ヤーヴィンは行政府の省の中でも国務省の話をよくするが、これは彼のお父さんが外務局で働いていたことによるのかもしれない
彼の祖父母はアメリカ共産党員だったそうだ
母がエネルギー省関連、義父が議会スタッフだったそうだ
ハンス・ハーマン・ホップは君主制を支持する主張において、君主制下では非戦闘員と戦闘員が区別され、法に則った戦争が行われていたのが良かったと主張するが、ヤーヴィンはむしろゲリラというものがあるので非戦闘員と戦闘員の区別なんてできないと言っている気がする
I can explain this and Greer himself probably even understands it: until quite recently, the so-called “neoliberals” never, ever said “neoliberal.”
It was exclusively an exonym—basically, a Marxist slur, meaning anyone who isn’t a Marxist. As Marxism becomes more dominant, more Marxists use Marxist exonyms more, suggesting a rise in this strange “neoliberalism.” Data interpretation is tricky! When more people start talking about witches, it does not always mean more witches. I don’t like using exonyms, though sometimes there is no choice.
いやまて1990年代からマルクス主義が支配的になったってどういうことだ
1991年にソ連が崩壊したのだからその解釈は全く意味をなさないのでは
Yarvin: There was never any such thing as a stable absolute monarchy in Old Europe. That is, there was never a monarch whose control was absolutely secure, and who didn’t feel he was competing informally with other internal power bases (the Church, the nobility, the cities, …) So the center kept expanding for the same reason it expands now: informal power networks metastasize.
マキャベリ的という形容をマキャベリその人のような分析という意味と、マキャベリによって描かれているような性向という両方の意味で使ってしまうのは問題があるのでは
けど、cynical という言葉や、scaryという言葉にも同じような多義性があるし、英語のアレな点かもね。
なぜしばしば「それは20世紀的な考えだ」といって考えを退ける人間が、「その考えが考えられた時代に訴える論証」(ad tempus)を非妥当だと批判する?
過去が優れていると思っているのであって、ad tempusが誤謬であるとほんとうに思っているわけではないのではないか
ヤーヴィンはこの記事で、どんなに軍国主義的でも、勝ちそうな時に相手に武器を与えてもっと戦争を! とはやらないので、みな平和を求めてはいるといっている (そのレベルのミリタリズムだとHELLSINGの少佐のセリフみたいだ)
だから平和主義というのは名乗りとしては無意味なのだと
しかし、領土を失ったりしても平和を優先するかとか、平和を優先する度合いに違いがあって、優先度合いが高い人を平和主義とよんでいる (秦檜の和平策とか) と思うので、無意味ではないのでは
流石に戦争自体を目的として追求する人はそんなにいない
ヤーヴィンは「政治と民主主義との違いは、含みがポジティブかネガティブかの違いであり、同義である」というが、legal activismは政治であるが民主主義でない例では
ヤーヴィンは streotype threat 理論を批判する記事にリンクしているが、ヤーヴィン自身の、現代右派がファシストになることの説明も、streotype threat 理論と似てるのでは?
彼は人が「ポリティカル・コレクトネス以外にはファシストしかいない」と、言われ続け、それを自らも信じてしまったからファシストになると言っている
予言の自己成就
The eternal dream of the nerd, who would not be a nerd had he not in some sense socially failed between 10 and 20, is not to succeed at being human—not to catch up to the default social world, to learn its secrets and be admitted to its citizenship, to rise in its conventional ranks—but to skip being human—and jump directly to some kind of para-human, trans-human, posthuman or just superhuman experience.
The question is: inventing from scratch, are these outsiders, these nerds, these losers, going to do a better job than the masters of Life 1.0—especially when those masters have inherited their ways of living across many generations? Who would you bet on? Especially when the nerds are not even reinventing themselves as a group, but each working alone from his own fragile psychological capital… I’ll bet on Chad and Stacy.
…
Then their pride and intelligence makes them want to reinvent all of human society—which is why this essay.
おまゆう
ヤーヴィンには第三世界は破滅しているみたいな世界観があるが、『ファクトフルネス』 (未読) あたりで批判できそう
ヤーヴィン自身は言論統制を唱えているわけではないけれど、Cathedralの考えは少なくとも言論統制が右派にとって意味をなすということを導くのでは
ギリシャ、ブラジル
嘘?
YouTubeでは、グーグルアナリティクスを使ってないとか、コメント読んでないとか言ってるけど、コメント返してるし
昔はネオコン?
関連リンク
新反動主義自体は下火となったが、その残りは様々な別の運動になった。
ハイエクは、価格は様々な情報を1つの数字に集約すると指摘。ネオカメラリズムでも、「株式の上の割引率」が同じ役割をすると言う。
Hayek taught us that the price system is an inhumanly effective aggregator of information. Coffee prices integrate immense amounts of information—weather, pests, shipping costs, and our cafe-side demand—into a single number. Under an NYSE-listed regime, the discount rate on its stock would do the same: serving as an unerringly reliable, ceaseless referendum on all policy.
割引率は、時間選好・リスクを表示?法律・税率変更リスクなど?
ayu-mushi.icon「公園を作る → 近隣の住宅の地価が上がる」のような価格の情報を利用して、政策意思決定を行う。
ヤーヴィンがGoogle社を訪問したところ彼が秘密のブラックリストに入っており、退去させるようにする自動指示があったらしい! (実際に退去させられたのかは知らない)
Looks like Bezos might prove Yarvin wrong.
外部サイトでのヤーヴィンのコメント
ヤーヴィンが元ネタであろう、アメリカ合衆国は王によって統治されるべきだと信じ、カーライルについて講義をする"neo-reactionary monarchist"(新反動主義の君主制主義者)であるMaurice Antonovというブロガーが出てくるシャーロック・ホームズ原作のドラマ (Elementary というタイトル) があるらしい
第4シーズン(2015年 - 2016年)"洗脳プログラムの秘密" "Evidence of Things Not Seen"
直接的にヤーヴィンへの言及はないが、ヤーヴィンへの嫌味と見れるものがちょくちょくある (現代リベラリズムの起源をプロテスタント主義に遡るような理論や、リベラルは権力への追求によって特徴づけられるというような 政敵についての包括的理論は単純化のしすぎで役に立たないことが多い、と)
ヤーヴィンの好きなジェームズ・バーナムについても、「現代の行政国家について知りたいなら、アリストテレスやジェームズ・バーナムを読むよりも、法学徒が使う教科書を読んだほうがいい」と言っている (アリストテレスへの言及は、ヤーヴィンがアリストテレスの君主制、寡頭制、民主制の区別をよく使うことを意識していてもおかしくない(知らないけど))
新反動主義者の民主主義批判に対する反論
いわく、もし仮に王政の方が良い統治をするインセンティブを持っているとしたとしても、独裁制国家の統計は ずさんな場合が多いという問題がある。仮にインセンティブは社会全体のものと合致していたとしても、国家の状態についてのまともな知識がなければ良い統治をしようがない
公開されている統計が改ざんされてるだけで、上層部は本当の統計を知ってる可能性もあるけど
民主主義において投票者は知識を持っていなくても、期待より生活水準が下がったら政権交代を求めるということにより、政権には生活水準を期待水準に保つインセンティブがある (上の記事でRichard Hananiaも言及している考え)
このトランプの当選結果は、政治学による評論家への偉大な勝利である事も記さねばならない。選挙時のディベートにおける立ち振舞やそこでのヘマのような事象は、大した事象ではない、と政治学は教えてくれる。政治学においては、選挙結果は、極少数の「マクロ」要因に左右される――この要因の最重要要素は、政権与党を変更させたいという〔有権者の〕要望であるとされている。 2 現状の政治の権力構造の分析ではヤーヴィンと共通するものの、その権力構造を倒して王政やネオカメラリズムを目指すのではなく 、現状の権力構造は可能な代替案より良いと考え、体制内で改善を目指すべきとする左派モールドバグ主義の説明。
DeepLeftAnalysis、Richard Hanania、Anatoly Karlin (\アッカリ~ン/) らが左派モールドバグ主義とされる。
リベラルエリートによる支配を受け入れているだけで、左派というのは変だけど
文化は万能の支配力を持ったマインド・コントロールのシステムである、という考え方は多くの人にとって魅力的で、払拭しがたいものだった。それは一つには、学者やジャーナリストに都合のいい自己像を抱かせるからだろう。英文学の教授は、自分の教えている小説が高尚な娯楽に過ぎないのではないかとの疑念に苛まれているので、その解釈手法こそが西洋文明の死を告げる鐘を鳴らしているだ、というような話を聞くのが大好きである。当然エンタメ産業で働いている人々も、自分たちは単なるエンターテインメントの供給業者ではなく、社会正義のための闘争の最前線部隊として、寛容や平等を促進するために人間の心のソフトウェアをプログラミングし直しているのだと考えたがる。こうした考えは、批判として述べられていたとしても、〔文化に携わる人々を〕非常に力づけるものなのだ。
過去数年間の出来事(特に中絶やアファーマティブ・アクションを巡るアメリカ最高裁の判決)を見れば、バノンの議論は根拠に乏しいものとなる(少なくともこうした出来事は、国内政治における国家権力の重要性を再認識するよう迫る)のではないかと思う人もいるだろう。
Contra Yarvin and Hoppe, princely success is economic failure. Absolute monarchs stunted economic growth.
Absolutist monarchs stunted the growth of commerce and industry, as measured by the pace of city growth in western Europe from 1000 to 1800.
Why? Extractive tax policy.
Empirical evidence against Curtis Yarvin's preferred system of government.
Curtis Yarvin is mistaken when he says that Apple can produce iPhones because it's a monarchy. There are millions of firms ("monarchies") in the world that can't produce anything nearly as impressive as iPhones, from the laundromat down the street to Boeing.
…
If the tertiary education sector is so influential on the US, why aren't most US citizens believers in evolution?
It really says something about Society that Yarvin became one of the most influential right-wing intellectuals just as most of his major predictions about society were falsified
架空のディベート
Why do debates over the power of the executive have an ideological valence? In other words, why is conservatism associated with wanting to put a great deal of power in the hands of the executive, while liberals tend to call for a stronger Congress? There are three main reasons for this. First, as a general matter, Democrats want to spend more money, and Republicans less. As will be discussed below, the nature of the Constitution is simply such that there is a better case for the president being able to spend less money than appropriated than more. Everyone agrees that he can’t spend more than what has been allocated by Congress. Yet if the executive branch has wide discretion not to spend certain appropriations, that is a powerful way to cut the size of government and defund certain projects.
ヤーヴィンの「ネオコンは元トロツキスト」とする主張に対し、その主張の粗雑さを批判したもの。
ヤーヴィンの左翼=ピューリタン論についての記述もある。
長い時間Unqualified Reservationsのコメント欄でコメントしていたTGGPは、ヤーヴィンは想像力があり、それを伝える才能があるが、個々の主張はしばしば矛盾したもの、あるいは単に偽であり、これらの特徴は真理の追求よりパフォーマンスアートに近いものだと言っている
Beyond the fascistic language, Yarvin’s theory of how public organizations work is also a pure fantasy.
この人どれくらいヤーヴィンのこと知ってるのかな。Retire All Government Employees みたいな主張だけ見てコメントしてる感じする。
カーティス・ヤーヴィンとフーコーの類似性が指摘されてる
ヤーヴィンが、マルクス、チョムスキーと似てるという指摘
インセンティブ構造に基づく演繹的な話だけでは限界があり、実証的な話もしない限り現実の問題について評価を下すことはできない。この教訓はヤーヴィンにも刺さるのではないかと思う。
まあヤーヴィンは歴史の話もするので、演繹的モデル一辺倒ってだけではないけど
ヤーヴィンが影響を受けたミーゼス、ロスバード、ハンス・ハーマン・ホップらのオーストリア学派経済学は実証を嫌いアプリオリな前提と演繹のみを方法論として認めるからそれの影響っぽい
なんとなくヤーヴィンと同じ文脈を感じる (クライメートゲートやイラク戦争、金融危機によるエリートへの不信、インターネット・ブロゴスフィアの勃興)
進歩主義の運動家の1人である (ヤーヴィンの語る歴史における悪役である) Edward Bellamy は意外とヤーヴィンと似てるらしい
ヤーヴィンが左派をバラモンエリートとすることへの疑念
著者のTGGPによると、実際には大卒者は、学部卒の場合 どちらかというと右派によっている
(年齢の影響があるので学部生自体は条件つけしない確率 (P(左派)) よりは左派によりそうな。同じ年齢で学部卒の人が高卒者より左派によるということはないということか)
ヤーヴィンの説に反して、高学歴は必ずしも左翼ではない
インドのバラモンより中国の官僚にたとえたほうが良かろうというのは自分も思った
新反動主義者の、「マイノリティが悪いパフォーマンスになっているという統計があると、社会正義運動家は他の原因を検討せずそれは差別のせいだと結論に飛びつく」「その結果、みな差別について考慮することにエネルギーと時間を浪費している」という主張に対し、差別以外の原因では説明できないような統制された厳密な実験/調査を紹介する記事。
無意識の連合テスト、
(無意識の連合テストは最近は批判されているようだが)
他の条件が同等だが人種だけが違う人を集めてきて企業が雇用するかどうかを比べる実験、
全く同じ履歴書で名前を特定の人種や性別っぽく変えた場合に、雇用するかどうかが変わるか調べる実験、
などを紹介している
(履歴書だけでは十分な情報ではないので、それが(真の)統計的差別なのか、誤った偏見、好みの差別なのかは明らかではないという指摘がある) (言っているのは差別があるかどうかであって何による差別なのかではないとも返せるかもしれないけど)
どっちが正しい?
追記: 正確に言うと、Slate Star Codexが示すデータは統計的差別説とも整合的であり、カプランの理論的な議論は、生産性の統計的な違いと対応しないような差別をする企業が淘汰されることを示しているものの、企業がゲイリー・ベッカーのいう "統計的差別" を行っている可能性を排除するものではない。格差のうちの大部分が差別を原因とするものではないと言っているだけで、雇用差別がないと言ってるわけじゃない。
Bryan Caplan は労働市場を十分に競争的だと仮定している点に問題があるのでは
いや、売ってる商品の市場が競争的なら労働市場が競争的でなくても成り立つのでは
別にスコット・アレクサンダーの言ってることとブライアン・カプランの言ってることは矛盾しなくて、雇用差別はあるけど雇用差別する企業は倒産してくってことかな。
いや、カプランは格差の研究は雇用差別が原因ではないと示唆しているって言ってるから、ふたりはお互いに対立してることを言ってる部分はやっぱりある
カプランの議論によれば、市場が均衡状態なら雇用差別はないことになるけど、均衡に至る途中で雇用差別があることとは矛盾しない。
差別する会社の株を空売りしたり、敵対的買収すればすぐ均衡状態に行くと考えられるので、効率的市場仮説と矛盾する?
Matthew Yglesiasによる『ベル・カーブ』批判
ヤーヴィンの第二次世界大戦論に対する批判
これは独裁制を支持するように見える部分だけを引用し、その理由や限定は引用しないし具体的に反論するわけでもないなかなかアレな記事。よく調べてはいるかもしれない
Mencius Moldbug recommended a number of books in this post, and I’ve just gone through a few of them.
ヤーヴィンの「アメリカのカースト」論と、他のアメリカ階級論との比較がある
Many conservatives I read like to push the theory that modern progressivism is descended from the utopian Protestant experiments of early America – Puritanism and Quakerism – and that the civil war represents “Massachusetts’ conquest of America”. I always found this lacking in rigor: Puritanism and Quakerism are sufficiently different that positing a combination of them probably needs more intellectual work than just gesturing at “you know, that Puritan/Quaker thing”.
Then we have to attribute both the mass slaughter of the 20th century and the lesser slaughter of the golden past to exclusively political rather than technological causes. And that is just absurd. How do you suppose the Muslim conquest of the Maghreb, the Thirty Years’ War, or — Mencius — the Warring States Period would have gone if air forces, heavy artillery, and nuclear weapons had been available?
この記事も良い批判だと思う
Cathedral 概念への批判
ヤーヴィンの政治思想は、新反動主義にくわえ、state capacity libertarianism, structural libertarianism, national conservative, new right, post-liberal などに含まれる?
New Rightみたいな名前の付け方、いつかnewではなくなることが分かってるんだからやめてほしいよね(そもそもすでに別のイデオロギーでnew rightと呼ばれているものもあるし: New Right - Wikipedia) policy libertarianism vs. structural libertarianism
ブライアン・カプランによれば、structural libertarianismもけっきょくはpolicyの一種であり、structural libertarian のほうがpolicy libertarian より現実的かのような考えは幻想だ。
universalism
ヤーヴィンの主張に似ている
新反動主義に関するメディアの記事のまとめ
YouTubeにいくつか最近のインタビュー動画がある
外交政策について
社会科学についての議論
ヤーヴィンのGene Expression (GNXP) でのコメントは今はコメント欄のサービスの終了のため見れなくなっているが、Unz Reviewのサイトにクローンがある
歴史上の犯罪率の増減について
コメント欄: Universalism, Puritan, New England
ヤーヴィンは「左派はニューイングランド由来の伝統だ」と言うのに対し、反ユダヤ主義? みたいな人が「左派はユダヤ人の影響が大きい」と言って、論争している
コメント欄で反ユダヤ主義について
オーストリア学派経済学について
人種と奴隷制
ayu-mushi.iconこれはヤーヴィンがキャンセルされた/されそうになったときに問題になった論点だからなんとなく野次馬的に載せた項だけど、奴隷制が認められることになるのか? という点は彼のフォーマリズムに関してという意味でも興味深い論点なので けさないで残してある
これが (いくつかの技術系カンファレンスでヤーヴィンが発表するときに問題となった) 人種差別と奴隷制に関する発言かな 〔これはカーライルの意見の紹介という文脈なことを書いておくべきだった〕:
In all these relationships, the structure of obligation is the same. The subject, serf, or slave is obliged to obey the government, lord, or master, and work for the benefit of same. In return, the government, lord or master must care for and guide the subject, serf, or slave. We see these same relationship parameters emerging whether the relationship of domination originates as a hereditary obligation, or as a voluntary obligation, or in a state outside law such as the state of the newly captured prisoner (the traditional origin of slave status in most eras). This is a pretty good clue that this structure is one to which humans are biologically adapted.
Not all humans are born the same, of course, and the innate character and intelligence of some is more suited to mastery than slavery. For others, it is more suited to slavery. And others still are badly suited to either. These characteristics can be expected to group differently in human populations of different origins. Thus, Spaniards and Englishmen in the Americas in the 17th and earlier centuries, whose sense of political correctness was negligible, found that Africans tended to make good slaves and Indians did not. This broad pattern of observation is most parsimoniously explained by genetic differences.
もちろん、全ての人間が同じに生まれているわけではなく、ある人々の生得的な特質と知能は奴隷より主人に向いている。
他の人々は奴隷に向いている。また、その他はどちらにも向いていない。
それらの性質は異なる起源の人間集団によって異なって分布していると予測できる。
だから、17世紀やそれ以前のアメリカにおけるスペイン人やイギリス人(その政治的正しさへの感覚は無視できる量である)は、アフリカ人は良い奴隷にでき、インディアンはそうでないことを発見した。
この観察の広範なパターンは遺伝的差異によって最も倹約的に説明される。
インディアンより黒人の方が奴隷に向いているらしい
インディアンを奴隷にするのやめたのは向いてなかったからなの?(最初の方にエンコミエンダとかで鉱山強制労働はしてたような)
インディアンは奴隷にすると死にやすかったってことか?
15世紀末に始まったスペイン・ポルトガルのアメリカ新大陸植民地経営では、当初インディオの奴隷労働が行われたが、急激に人口が減少したため、16世紀からアフリカ大陸の黒人奴隷を供給する大西洋奴隷貿易が始まった。
Not all humans are born the same, of course, and Carlyle (following Aristotle) takes the view that the innate character and intelligence of some is more suited to mastery than slavery. For others, it is more suited to slavery. And others still are badly suited to either. These characteristics can be expected to group differently in human populations of different origins. Thus, Spaniards and Englishmen in the Americas in the 17th and earlier centuries, whose sense of political correctness was negligible, found that Africans tended to make good slaves and Indians did not.
あ、こっそり編集されて、地の文じゃなくてカーライルがこういう意見を取っているという文になってる
職業のように向いているか向いていないかというの自体、ミスリーディングではないかという気がするが (奴隷化が自分の判断なら別にせよ)。(アリストテレスは奴隷に向いている人がいると考えたけれど)
豚は食べられるのに向いている というのは豚にとって向いているわけではない
Moldbug: …
Slave labor is actually an excellent example of the Fnargl principle. If you assume security is not a problem, serfdom is always more profitable than slavery and taxation is always more profitable than serfdom.
The profit of slavery is equal to the difference between the price of slave labor and the price of free labor. This vig or rake-off can be replaced with an income tax without changing the economics of the game at all. And once this is done, why shouldn't the slave - now a serf - be able to change jobs? The more he makes, the more you make. -- "対称的主権の魔法" (この文章はちょっとわかりにくい。the price of free laborというのは雇用者が賃金として払うお金を指しているのだろうか。the price of slavery は奴隷を使役する際にかかる費用なのかな?)
農奴制などとは区別された狭義の)奴隷制を大して評価してないようにも見える
――いや、この奴隷→農奴→臣民という移行が適用できるのは、奴隷が十分に合理的である場合に限るのか
強制労働ではなく自由労働+徴税になるとしても、分配の平等性について何ら気にしないという前提を置かないとその状況は擁護できないのでは
あくまでネオカメラリズム政府が徴税を行うことはその政府が所有権の保護を行うことの価値と比較して許容できると判断しただけなら、所有権の保護も行ってくれない奴隷の主人が徴税を行うことは意味がないしトータル的に悪いのでは
奴隷制はピコ政府で農奴制はミクロ政府なのだという
でもパッチワークでは住む国の選択ができるのに対し、奴隷制の場合は選択ができないのだから、そこは大違いじゃないのか。
exit right の存在という一点で、ネオカメラリズムと奴隷制が異なっていたのに、そこをはずしたために、奴隷制を擁護することになったのではないか
A sensible way to house criminals is to attach them as wards to their revenue streams, but let the criminal himself choose a guardian and switch if he is dissatisfied. I suspect that most criminals would prefer a very different kind of facility than those in which they are housed at present. I also suspect that there are much more efficient ways to make criminal labor pay its own keep.
犯罪者を扱う賢明な方法の一つは、彼らを自分の収入源に結びついた「被後見人」として管理することだ。ただし、その後見人は犯罪者自身が選べるようにし、不満があれば乗り換えられるようにする。
私は、ほとんどの犯罪者が、現在収容されているような施設とはまったく異なる種類の施設を好むだろうと思う。
さらに、犯罪者の労働によって、自分自身の生活費(収容コスト)を賄わせる方法には、今よりずっと効率的なやり方があるとも思う。
ヤーヴィンは「主権とは所有権である、所有権とは所有物に何でもできる権利である。憲法による制約など意味がない」という極端な観点をとっているので、奴隷制と主権国家に違いがないということになるのだろう (たしかに絶対王制と奴隷制に被治者の人数以外の違いを求めるのは難しそう)。
概念の定義に基づく議論 (「主権」「政府」のような) は、経験的な内実を持たないので、主権、政府の定義をヤーヴィンのように捉えた場合、単に「その定義ではアメリカ(政府)や日本(政府)は主権国家/政府ではないですね」という結論が得られるだけとなる可能性がある。
ヤーヴィンは、「定義より〜」といって実質のある主張を滑り込ませる議論を多用しているが、このような反論に遭うだろう
裁判などの法に則った手続きを経て拘束を行う近代的な法治国家と、主人の気まぐれでむち打ちできる奴隷制が本当に同じか
それも結局最高裁判所の気まぐれだみたいなことを言っているけど、本当か
ヤーヴィンも法の支配は支持してたはず…
国家一般と奴隷制に違いはないかもしれないが、近代的な法治国家と奴隷制に違いはあるのでは
奴隷制でも原理的にははそのようになることはありえなくはないが。
国家だと、被害者同士が同じ被害を共有できるので話し合いから改善につながりやすそう?
国家が私利の追求によって自分自身の権力の使用を制限し、同様に所有権の生み出すインセンティブによって勝手に奴隷の主人が自分自身の権力を制約する、などということはあるのか ?
ヤーヴィンは警察に身体権を侵害される場合よりも犯罪者に身体権を侵害される場合のほうが多い/重大なのだから、リバタリアンは警察の権限拡大を支持するべきだと論じていたが、その論法で行けば奴隷が鞭打ちなどにより身体権・自己所有権を侵害されているほうが多い/重大なのだから、南北戦争のときに南側の分離の主張を認めないことも支持できるのではないか
(人権侵害国家に武力侵攻することも認められる? フォーマリズムには反するけど。)
ヤーヴィンは「常に非集権的な側を支持すべきだ」というルールを持っているわけではないということだから
むしろリンカーンを 奴隷制の anarcho-tyranny から解放した state-capacity libertarian であると、ヤーヴィンの政治哲学っぽい観点から評価することもできそうだけど
America abolished slavery and brought the states back into union under the leadership of Abraham Lincoln — perhaps the single most state capacity- and liberty-enhancing move in U.S. history.
Moreover, just because the relationship of slavery or serfdom is personal by default, does not imply that it cannot be made impersonal, like the relationship of subject to government. If the client is not one of Aristotle’s natural slaves, has an IQ over 90, is an adult, and can provide his or her own personal guidance, the subject–government relationship may be a better fit. The master may maximize his economic benefit by simply allowing the slave to negotiate his own employment and living arrangements, and taxing him. Thus the parallel reemerges.
IQは1標準偏差が15で (16とする場合もあるらしい)、軽度知的障害が50~70。
平均100, 標準偏差15の正規分布を仮定すると人口の約25%がIQ 90以下だ。
だから、IQ90以上って結構厳しいぞ。
十分条件として言ってるだけかもしれないけど。
もし必要十分条件として言ってるなら人口の約4分の1以上は、ランダムに選ばれて奴隷化されたと仮定した時、その人に職業の自由を選ばせて徴税するのではなく、いちいち指図したほうが良いって言ってるってことだ。
人口の3/4にしか自由は要らないのか?
Yarvin(文中より。ただしこれは奴隷制に関する文章ではなく、自由の概念について): For example, I don't think the conversion of Southern slaves into Southern sharecroppers made anyone much freer, because it created few practical options for the people involved. Before, you were an agricultural laborer who worked on the same farm for your entire life; after, ditto.
たとえば、私は南部の奴隷が南部の分益小作人 (シェアクロッパー) に変わったことで、誰かがより自由になったとは思わない。なぜなら、関連する人々について少しの実際的な選択肢しか生み出さなかったからだ。奴隷解放以前は、全人生を同じ農場で働く農業労働者だった。奴隷解放後は、以下同様。
TGGP: Christ, that's moronic. The option to leave your employment if you do not find it satisfactory is a huge benefit EVEN IF YOU STAY WHERE YOU ARE. Are you unfamiliar with the concept of competition? I seem to recall your "Patchwork" idea being based on it. You even mentioned "fleeing ASAP before the minefields are set" just a few paragraphs above! People actually crossed several states in order to reunite with family, we can be confident they saw themselves as improving their situation.
とんでもない、そいつは馬鹿げてるよ。職を実際には変えないにしても、不満なら職を変える選択肢があるというのはすごい利益がある。お前(=ヤーヴィン)は"競争"って概念を知らないのか?
君のパッチワークの考えは競争に基づいたと記憶しているが。
しかも、この文の数段落前に「地雷が設置される前に可能な限り早く逃げる〔ことができるのは重要であるという〕」ことについて言っていたし。
人々は家族と再び会うためにいくつもの州をまたいだし、彼らが状況が改善していると思っていたことは確証がある。
TGGP:
"Can you demonstrate that the effective wages of former slaves rose over time after 1865 as a result of this competition?"Yes. All it took was a bit of googling. When Murray & Herrnstein set out to make a controversial thesis they buried their audience with data. The "sharecropping = slavery" point rests entirely on assertion. "あなたは1865年の後にその競争によって以前に奴隷だった者の実効賃金が上昇したことを証明できるか?"
できるよ〔この引用部分によると、シェアクロッパーになったあとには、黒人の農作物の取り分が22%から56%になり、所得ではドルにして30%の向上があったらしい〕。ちょっとググるだけだ。 マレー&ハーンスタインが論争的な主張をしようとしたときは聴衆をデータで葬った。
ヤーヴィンの「奴隷=分益小作人」というのは根拠なく主張しているだけだ。
奴隷と分益小作人の自由度に区別をしないということは、ヤーヴィンはリバタリアン的な形式的自由の概念とは違うより実質的な自由の概念を持っていることになる?
TODO: ロスバードやハンスハーマンホップの奴隷制論と比較する
ヤーヴィンに影響を与えたリバタリアンのロスバードやハンス・ハーマン・ホップは奴隷制についてヤーヴィンとは全然違う主張である。
ロスバードは、世襲的奴隷制のみならず、(ロスバードはリバタリアンだが) 自身を奴隷として売るという自己奴隷化契約についても、契約として強制力を持つべきではないと考えた。
ホップは、自己の身体の占有を譲渡することは物理的に不可能である (自分の肉体を動かすことは常に物理的には可能である) というフォーマリズムと似た観点から同じく自己奴隷化契約に反対した。
ヤーヴィンとしては、主権を所有権をみなす都合上、国家が身体を拘束したりできることから他人の身体を占有することはは物理的に可能であるとしているのだろう。
ヤーヴィンは契約については自己奴隷化契約による自発的奴隷制を認めるのみならず (自発的な自己奴隷化契約はリバタリアンのウォルター・ブロックやロバート・ノージックも認めていた)、占有に基づく時効取得としての奴隷制や、先祖が自己奴隷化契約を結んだ結果としての非自発的奴隷制も容認していることがある (昔の記事では先祖の契約により子供が奴隷にすることは認めていないのもある)
主権を所有権の一種として見るフォーマリズムの観点からは、人を合意なく所有できるというのは自然な結論ではある
そうでないなら、政府が人に主権を行使するのにも、合意が必要ということになるだろう
1. This paragraph has proven to be one of the most controversial in the Moldbug corpus. Some feign outrage at the notion that “Africans tended to make good slaves,” intentionally misreading this as an endorsement of the idea, while also stripping it of critical historical context. But the observation that 17th-century Spaniards and Englishmen found Africans to be better slaves than Indians is hardly controversial—how else to explain the transatlantic slave trade?
Meanwhile, there are those who fret about the suggestion that genetic differences between different populations might account for some of their differences in behavior. Such people would do well to educate themselves on the actual research on the subject, as well as to consult their local dictionary regarding the word parsimonious. Genetic differences aren’t the only explanation for the source of the observed disparity—just the simplest (most parsimonious) one.
Indeed, there is no question that genetic differences made Africans better slaves than indigenous Americans in at least one respect: due to superior genetic resistance, Africans were much less likely to die of tropical diseases like yellow fever and malaria. Those who can’t admit that a live person makes a better slave than a dead one are well beyond the reach of reason.
この段落はモールドバグの語録のなかで最も論争を呼ぶものとなった。
ある人々は、「アフリカ人が良い奴隷になる傾向にあった」という文に怒る素振りをしたが、それはこの文を意図的に誤解してその考えの擁護というふうにとり、その批判的な歴史的文脈から切り離している。
しかし、17世紀のスペイン人とイギリス人がアフリカ人がインディアンよりよい奴隷になると考えたことはぜんぜん論争の余地はない。
というのも、それ以外に大西洋を越えて奴隷貿易をする理由が説明できるだろうか。
同時に、ことなる集団間の遺伝的な差異が行動上の差異の一部を説明するという可能性に対しいらだつひともいた。
そういう人は、この主題についての実際の研究を学ぶべきだし、「倹約的」という言葉を辞書で引くべきだ。
遺伝的差異が観察される違いの唯一の説明だと言っているわけではない。もっともシンプル(倹約的)な説明だと言っているのだ。
じっさい、遺伝的差異がアメリカ先住民よりアフリカ人を良い奴隷にする理由のうちの1つは疑いがない: すぐれた遺伝的抵抗性によって、アフリカ人は黄熱やマラリアといった熱帯病に感染しづらかった。
生きている人間が死んでいる人間より良い奴隷になるということを認めない者は理性の範疇を越えている。
うn死んだら奴隷にできないね
I strongly believe that no matter how atrocious the distribution of real power in society, even if it involves actual slavery, law is always better than non-law.
Slavery is not good, but legal slavery is better than illegal slavery.
(Think how much better off both North and South, white and black would have been, for example, if the North had bought the South's slaves rather than fighting for their freedom - okay, they weren't fighting for freedom, they were fighting for the Union, but that's a whole separate argument.)
私は現実の権力分布がどんなに凶悪なものであったとしても、それがもし奴隷制を含むものであったとしてさえ、法がある状態は法がない状態より好ましいことを信じる。
奴隷制は良くないが、法的な奴隷制は違法な奴隷制より望ましい。
(アメリカの南北戦争で、戦争で彼らを解放しようとする代わりに、北が南から奴隷を買ったらどんなに良かったか考えてみてほしい ーーオーケー、北はアメリカ連邦のために戦ったのであって解放のために戦ったわけではなかったね、しかしそれはまた別の話だ)
それって新たに奴隷が作られないという仮定の上でしか成り立たなくない?
新たに奴隷が作れるなら、スーダンの奴隷を買うボランティアみたいになるのでは
さらには露骨に悪いのもいる。有名な例では、スーダンには奴隷を買うNGO/NPOと いうのがいる。売られているかわいそうな奴隷を買ってあげて、解放してあげましょ う、というわけ。もちろん、奴隷商人にしてみれば、こんないいお客はいない。ふつうは売れないようなダメ奴隷でも(いやむしろそのほうが)、こいつら喜んで買ってくれるもん。というわけで奴隷商人の上得意客になり果てて、やめさせたいはずの奴 隷取引の延命に手を貸す結果となって、他の団体からガンガン非難されているんだけ れど、かれらは自分たちがいいことをしていると確信しているから、聞く耳持ちやし ないのだ。いやぁ、すごいなあ。でもその人たちの様子が想像つくだけに、笑えないよね。
新たな奴隷の輸入は奴隷解放以前に、既に禁じられていた?
こうした動きの中、アメリカ合衆国では1808年に奴隷の輸入が禁止されたが、綿花プランテーションで奴隷を使役したいアメリカ合衆国南部の農園主による密輸がその後も続いた。最後の奴隷船は、アフリカのベナンからモービルに110人を運び、証拠隠滅のため燃やされたクロチルダ号であった22。その直後に勃発した南北戦争で、奴隷制維持を掲げる南部諸州が結成したアメリカ連合国(南軍)が敗北。1865年に奴隷制が全廃された。 南北戦争に向かう時代、奴隷を束縛状態から買い上げるために金を集め、…
フォーマリズムにおける自己の肉体の所有の扱いはどうなるんだろうか。他のものであれば friction は限定戦争だけど自己の肉体の場合全面戦争になる気がする (いや自分の肉体より重要なものがあるひともいるだろうが)
ノージックは、奴隷制と政府は連続的だから政府は悪いみたいなリバタリアン的議論をしたんだと思うけど、ヤーヴィンは逆に奴隷制と政府に違いないなら、奴隷制の何が悪いのかみたいな。
The fact that people are born and die introduces a complexity into this nice system of interacting agents in a scarce resource environment. A good example is one your question implies: can you sell your children into slavery?
Formalism is not an abstract good. It is not good because it is good. It is good because it achieves its purpose, and its purpose is to prevent violence (actually, I now think "chaos" is a better word, violence is overexposed) - that is, the combination of conflict and uncertainty.
It does this by holding people to their own promises. Holding a person to a promise their parents made for them doesn't compute. It is much more likely to be recognized as invalid by all parties, leading to uncertainty etc.
So a reasonable formalist approach to parental custody, I think, gives parents complete potestas over their children until emancipation at maturity, but no power to contract on their behalf.
初期の頃は自分の子供まで含めて奴隷化する契約を結ぶことは認めていない
So, for example, A may promise to B that he will serve B faithfully for the rest of his life, and B may have him whipped if he disobeys. In fact, since parents own their children, A may consign his child C to this same relationship, and so on through the generations. B, of course, presumably makes some promise in return for this remarkable concession.
しかし後には認めている
I admit it: I am a pronomian. I endorse the nomos without condition. Fortunately, I do not have to endorse hereditary slavery, because any restoration of the nomos begins with the present state of possession, and at present there are no hereditary slaves. However, if you want to sell yourself and your children into slavery, I don’t believe it is my business to object. Try and strike a hard bargain, at least. (A slightly weakened form of pronomianism, perhaps more palatable in this day and age, might include mandatory emancipation at twenty-one.)
現在の占有を守るので、現在奴隷がいない以上、奴隷制を擁護する必要はないといってる。
しかし、自分とその子供を含めて奴隷として売ったとしても問題ないと言っている (そうすると、自分は売らないで子供だけ売る(至言)というのも認めていることになるのだろうか。たぶんそう。)
slavery
LessWrongと新反動主義の関係
が指摘されるが
結論: 新反動主義の支持者は少ないらしい。
しかし、以下の図では、
https://gyazo.com/0d4e75086cddb4020997366238d4dcf8
"rationalistは自閉症の集まりで、その中で特に社会性に欠けたろくでなしがNRx, TPOT, e/accを形成する。"
https://gyazo.com/4c4a8c0c7b63f6e1b79585597a1a46f5
https://gyazo.com/89242ddd3b211ba59c78aecdba4fd4d2
[EDIT by E.Y.: The answer is that he's not popular here. The 2012 LW annual survey showed 2.5% (30 of 1195 responses) identified as 'reactionary' or 'Moldbuggian'. To the extent this is greater than population average, it seems sufficiently explained by Moldbug having commented on the early Overcoming Bias econblog before LW forked from it, bringing with some of his own pre-existing audience. -- ]
〔どうしてLessWrongでメンシウス・モールドバグ = カーティス・ヤーヴィンが人気なのかという問いへの〕答えは、モールドバグはLessWrongで人気というわけではないということだ。2012年のLessWrongの年毎調査では、2.5%(1195の回答のうち30人)が「反動主義」もしくは「モールドバグ主義」と自認していた。一般的な人口における平均よりも高い率に関しては、LessWrongが Overcoming Biasの経済ブログからフォークする以前、モールドバグがそこでコメントしていて、もともといた彼の読者を連れてきたことによって十分に説明されるだろう。
ユドコウスキー(E.Y.)としては評判上、あまりヤーヴィンや新反動主義とは結び付けられたくないという思惑もあるだろうので、このようにコメントしたのかもしれない。
ヤーヴィンとエリエゼル・ユドカウスキーは、会ったことはあるようである
Scott Alexander says:
April 18, 2014 at 7:08 pm
“Why does there seem to be such a strong overlap in the sorts of personalities drawn to these ideologies and those who like reading Less Wrong, a site that is as ostensibly apolitical as possible?”
「表面上は可能な限り非政治的であろうとしているLess Wrongのようなサイトに集まる人々と、こうした(新反動主義的な)イデオロギーに惹かれる人々の性格が、なぜこれほどまでに強く重なっているように見えるのでしょうか?」
ここですでに挙げられている他の説はさておき、統計を見てみましょう。Less Wrongのユーザー層は、2.4%が反動主義者(リアクショナリー)で、1%が保守主義者です。対して、アメリカ全体をざっくり見積もれば、反動主義者は0%で、50%が保守主義者です。
人がより知的になり、より哲学的になると、保守主義という選択肢はどんどん人気がなくなっていきます。私の推測では、Less Wrongにも実際には3.5%程度の保守派がいるのでしょう。しかし、不評で「頭が悪い」と思われがちな他の保守派(知性を重視するサイトにおいて、これは非常に深刻な問題です)と自分たちを差別化するために、そのうちの3分の2の人々が、自分たちのために新しいラベルを採用したのです。それは「バカに見える」代わりに「邪悪に見える」ことを選ぶというトレードオフだったわけです。
ユドコウスキーはヤーヴィンのコンピュータ・サイエンスに関する記事から好意的に引用したことがある。
"It's possible to describe anything in mathematical notation. I recall seeing some paper once in which someone had created a mathematical description of C. (I forget whether or not this included the preprocessor.) As an achievement, this is somewhat like building a full-size model of the Eiffel Tower out of tongue depressors. It's clearly not the act of a talentless man, but you have to wonder what he said when he applied for his grant."
-- Mencius Moldbug
@ESYudkowsky: @Meaningness @EgeErdil2 Curtis Yarvin isn't a "trope". This is the same guy who mocked me for worrying that an AI could take over computers given Web access, saying that I didn't know how the HTTP protocol worked and that nobody could take over the Internet if only allowed HTTP GET requests. The first mention of Bitcoin on Less Wrong, a post called Making Money With Bitcoin, was in early 2011 - when it was worth 91 cents. Gwern predicted that it could someday be worth "upwards of $10,000 a bitcoin". He also quoted Moldbug, who advised that:
> If Bitcoin becomes the new global monetary system, one bitcoin purchased today (for 90 cents, last time I checked) will make you a very wealthy individual...Even if the probability of Bitcoin succeeding is epsilon, a million to one, it's still worthwhile for anyone to buy at least a few bitcoins now...I would not put it at a million to one, though, so I recommend that you go out and buy a few bitcoins if you have the technical chops. My financial advice is to not buy more than ten, which should be F-U money if Bitcoin wins.
ミハエル・アシニモフというLessWrongに居た新反動主義者はLess WrongというのにモジってMore Rightというサイトを運営していたが、ユドコウスキーはMore Right はLess Wrong公認ではなく、Less Wrongの側から大してリンクされていないとして関係を否定している。
yudkowsky: ...
〔"More Right" is not any kind of acknowledged…〕
「More Right」は、Less Wrongが認めた派生サイトなどではなく、Less Wrongのサイトからリンクすら貼られていません。私たちは「新反動主義の陰謀」の一翼を担ってなどいません。私たちはこれまでも、そして現在も、その名の通り明確に「啓蒙主義(プロ・エンライトメント)」を支持しています。もし、どこかの新反動主義者が私を自分の思想の支持者として引用しているのだとしたら、私は一度も尋ねられていませんし、同意も与えていません。記事の中にその旨を記した注釈を入れるのが適切かと思われます。よろしくお願いします。
また、念のために明確にしておきます。私は、世間一般の不評を恐れてアイデアを即座に退けるようなことはしないよう努めています。しかし、スコット・アレキサンダーによる新反動主義への論破(テイクダウン)は説得力があると感じました。そのため、私は肩をすくめて、それ以上調査する手間を省いたのです。民主主義には既知の不具合が多く存在し、人間が自らを組織するためのより良い方法がいつか発見されるかもしれません。しかし、その方法が「貴族政治」になることはありません。それはちょうど、一般相対性理論の次に来る重力理論が「ニュートン力学」になることがあり得ないのと同じです。進歩のラチェット(歯車)は予測不可能な方向に回りますが、逆戻りすることはないのです。
パトリ・フリードマン(ミルトン・フリードマンの孫)についても、彼が新反動主義者ではないと私は確信していますが、私が彼の代弁をすることはできませんので、彼本人に尋ねる必要があるでしょう。
ヤーヴィンはElizer Yodkowsky が寄与していたグループブログOvercomingBiasの寄稿者であるロビン・ハンソンと、ハンソンのFutarchy (「ある政策をしたらどうなる」という条件付き予測の予測市場を利用して政治的意思決定を行う政治システム) について対談している https://www.youtube.com/watch?v=Tb-6ikXdOzE
〔Alexander is a disciple of …〕アレキサンダーは、同じくユーモアの欠片もない「合理主義(ラショナリスト)」運動「Less Wrong」の信奉者である。この運動は、ロベスピエールの古き良き「理性の崇拝」や、レーニンによる極めて合理的な「無神論博物館」などを、インターネット向けにアップデートした一種の焼き直しと言える。
この件について私の意見を述べるなら、残念ながら「合理的になる」ための唯一の方法は、単に「理性的であること」以外に存在しない。理性とは知恵である。知恵に公式など存在しない。そして、あらゆる愚かな信条の中でも、知恵が数式や祈りの詠唱、マントラといった何らかの形式に還元できると信じることほど、滑稽なものはない。
私はLess Wrongに関わっている人々を多く知っているし、彼らには多大なる同情(あるいは共感)も寄せている。かつて、そのカリスマ的指導者であるエリィエザー・ユドコウスキーにも一度会ったことがある。その際、当時はうまく言語化できなかったのだが、彼を見て即座に思い浮かんだ歴史人物がいた。シャブタイ・ツヴィである。
なぜそう感じたのか? ジョーンズ氏の記事へのコメント欄を読み進めていくうちに、ようやくその理由に気づいた。それは……
この記事ではヤーヴィンはLessWrongをロベスピエールの理性の祭典やレーニンの無神論博物館に喩えて揶揄している。
が、LessWrongに知り合いは多いとも言っている。
ミハエル・アニシモフとノア・スミスの論争があるらしい